「たま」とわたし 其の三

「たまの映画」を観た雑感

 

「たまの映画」を初めて観ました。

率直な感想は、「観て良かった」です。

事前にネットで下調べをして観たので、過剰な期待はせず4たまどころか3たまもないことはわかっていましたので。

ただ、一つだけ。

ライブ映像がひどい。雑。

特に石川さんの冒頭のライブ映像。

ブレブレなだけでなく、共演者のほうばかり撮っていたり、パーカッションなのに肝心の手元が写ってなさすぎる。そこだけイライラポイント。

 

Gさんがあんなに喋って笑う人だとは思わなかったし。

石川さんが真面目に語ってて、やっぱりこの人は「智」の人だなと思ったり。

一番は知久さんの柳さんへの気持ちが聞けたこと。不覚にもウルっと来てしまいました。

 

やっぱり知久さんファンだからかなあ。

知久さんに感情移入してしまう。

柳さんと別れたくなかった知久さん。「宝もののような声」とハモっていたかった知久さん。

知久さんの心中察すると胸が締め付けられます。

解散までずっと柳さんがいない苦しさを抱えていたようです。。。

 

少し語ります。あくまでわたし個人の想像ではありますが。

 

石川さんが「たまのA面」と言っていた知久さん、柳さん。その名の通り、たまの中心として楽曲をたくさん発表していました。

一応たまは、4人それぞれが作詞作曲をし、リードボーカルを取るスタイルですが、この両氏の楽曲が多く発表され、一般的に認知されていると思います。

わたしも、2人で車の車輪のような役割をしてたまをひっぱていた印象があります。

 

両輪ではあるけど、2人の音楽性はちょっと違ってて、柳さんはポップでキャッチー、知久さんは暗く寂しい。でも、2人がコーラスするとなぜか合う!また、柳さんのポップなメロディーにちょっとした情緒のような味わいを知久さんのギターやマンドリンが演出していたし、知久さんの寂しすぎる歌に柳さんのおちょくったようなコーラスが入って聴きやすくしていた気もします。

 

もちろんたま全体で曲は作っているのだけれど、知久さんてきには、柳さん唯一無二の相棒だったのだと思います。

 

それが、辞めることになった。

辞めた時期は、もうブームは過ぎ去ってはいましたが、かえってきちんと本来のスタイルで活動できていた円熟期だったと思うのです。

 

片腕もげたようなそんな気分だったのではないかと思います。

 

でも、知久さんは柳さんへの気持ち以上にたまというバンドが好きだったしプライドを持っていたようにも思います。

たまは4人で作り上げて来たバンドだったけど、やっぱり知久さんが中心だったのかなと思います。

石川さんが「『たまは好きだけど石川、滝本、柳原は嫌』という人はいるけど『知久さん嫌』って言う人いないよね」というようなことを呟いていました。

知久さんの声が嫌いな人はたまは好きになれないと思うんです。

それだけ知久さんのカラーが強いバンドだったと思います。

 

だから、柳さん脱退しても解散せず、3人でたまをやっていくと決心したのだと思います。ま、意地もあったのかなあと。柳さんの曲(さよなら人類)だけがたまじゃないんだって。知久さんからしたら裏切られた気持ちだったのかも知れません。

その決意の表れが、その名も「たま」というアルバム。

まるでハナからたまは3人だったというようなアルバムタイトル。

(ちなみにこのアルバムはまだ入手できていません。まだまだニワカです。。。)

 

バンド活動2003年まで続いていたけど、結果として柳さんが抜けた穴を知久さんは埋めきれなかった んじゃないかな。いや、ファンからしたら、3たまも素敵な曲いっぱいあります。でも、映画の中で、(柳原さんが抜けて)「解散するまで大変だった」と話していた。(ちなみにGさんは「サポート入れてなんとかなっていたんじゃないですかね〜」という認識)

知久さんのなかでは、一生懸命やって来たけど柳さんがいた頃のクオリティを超えきれなかったんじゃないかと。

知久さんの曲も変化していきます。もちろんいい大人になったせいもあると思いますが、現実的な感情を割とストレートに歌に乗せるようになった印象です。

 

アーティストとして円熟期に相棒を失い、3たまを維持するための楽曲作り、CMやタイアップもこなしながら。(この辺りの知識がわたしは薄いのであまり多くは語れません。。。)

 

南風という曲がわたしは好きです。

「僕らの寂しさはどっか遠くに出かけて行っちゃた」

わたしは2通りの解釈をしてしまいます。

一つはどうしてもこの「寂しさ」を柳さん脱退と重ねてしまいます。復活希望バイアスかも知れません(笑)

もう一つは「寂しさ」ばかり歌っていた知久さん自身。

知久さんの初期代表曲は、子供目線での「寂しさや悲しさ」。それを独特の歌詞表現で歌い不思議な世界観を作り上げていたと思います。

でも、もうそんな歌は作れないんだ、大人になっちゃった、曲作りで苦しむのはやめて楽しくバカなことやろーぜ、とも受け取れました。あくまで個人的解釈ですが。

そして

「兄い、あの世でまた遊ぼライライライ」

はやっぱり柳さんのことだとおもっちゃうなあ。

 

3たまでのバンド活動を頑張ろうとしつつも、どこかに柳さんのカムバックを期待する気持ちもあり、複雑な思いを抱えすぎてぷちんと切れたような気もします。

たまを辞めたいと切り出したのは知久さんからでした。

 

解散後は、大好きな虫取り、時々ソロやセッションライブをしています。ライブ中は常にビールを飲んでいます。バンドではやらなかった。バンドは緻密な「キメ」が多く、息を揃えないとならないからだそうです。もう飲めないところでは歌わないとも話していました。

 

てことはやっぱり再結成なんてないんだな…としょんぼりしたわたし。

でもね。

なんとなくだけど、根拠はないけど、知久さんは柳さんとまた歌いたいんじゃないかな、って思った。

パスカルズの一員ではあるけど、基本的に誰とも組んでない。

新曲も最近は書いてないようす。昔の歌を昔のように歌う。

柳さん抜きでは自分の目指すものにたどり着けない。

だったら、ゆる〜く好きなようにやるしかない。

 

まったりとした今の感じも哀愁あって好きです。でもその哀愁がどこから来るのだろうかと考えると、このような背景があるのではないかなと勝手ながら感じてしまいました。

 

あくまで個人的な感想、想像です。

異論は認めます(笑)

 

最後に映画の締めでは「すきなことを好きなようにやる」みたいなメッセージで占めていたように思いましたが、ちょっと違和感があるんですよね。

彼らの今は確かに好きなことをしているんだけど、それは過去に、好きでもないことも、体力的精神的にきついこともやってきた時期があって、一定の評価を社会から受けたからなんだよな〜。とおもったのです。

好きなことだけダラダラやってきた人たちではないのです。

この映画にメッセージを持たせるなら「好きなことをやる」より「等身大の自分を受け入れる」じゃないかなあ。

たいそうな欲を持たなければそこそこそれなりに幸せに暮らせるんだよ…ってね。