またまた久しぶりのブログです

約二年ぶりになります。

誰も読んでいないので、お久しぶりと言われても誰も懐かしむ人も、困る人もいないのが救いです。ひっそりと独り言をしていきます。

 

さてさて。

たまファン再燃の件ですが、この二年、各ライブにせっせと通い、3たま追っかけて千葉や京都に家族を巻き込み遠征し、特に知久さんライブは回数多く通い、なななんと!!!知久さんに私の存在を覚えていただけるまでになりました!!!

ばんざーい!!!

昨年末には打ち上げで一緒に飲み、hugしてもらったりあんなこととかこんなこととか。むふふ。

幼い時の自分、インナーチャイルドがもうもう大満足ですよ。

なんて思ってたらインフルエンザにかかり、そこからの体力回復がなかなか思うようにいかず、仕事に行きたくなくなってしまった。

 

最初のブログで書いたけど、「充電する」という目的は果たしたように思う。子供も、この二年私がにこにこして楽しそうに過ごすことが多くなったからか、情緒が安定してきたと思う。わたしもたまとまた出会えて、「自分らしく生きていいんだ」と思えるようになった。

 

そこでまた自問自答。

 

私が本当にしたいことはなんだろう??

 

いい加減目を覚ませよ!このモラトリウム野郎!!

である。

 

私は何がしたいのか、次の仕事どうしようか・・・。

 

ということで、中途半端ですが続きは次回へ・・・。

 

 

「たま」とわたし 其の五

柳原さんについて

 

柳原さんを語るのは難しい。

たまと違う音楽をやりたくて早々に脱退したから…。

その後の知久さんの苦悩を想像すると胸が締め付けられそうだから…。

 

でも、柳原さん、やっぱり好きだ(笑)

 

周知のことだけど、たまのポップス部分を支えたのは彼だし、たまを地上に浮上させたのは彼の楽曲と歌声のちからがあってこそだったと思う。

 

つかみどころのないキャラ、 楽しそうに歌う姿、伸びのある歌声、上品な雰囲気、どれをとっても素敵です(^ ^)

 

だけど、きっと、それはたま時代の私の中のイメージです。

 

ソロ曲も何曲か聞きました。

「再生ジンタ」と「君を気にしてる」は好き。

他にはまだピンとくる曲がまだない。とはいえ柳原さんの曲はカバーも入れるとたくさんあるので把握しきれてはいないのですが。

 

生で聴けば印象変わるかな、と、実は先日初めて柳原さんのライブを見に行きました。

ライブはとてもよかった!

でも、私的によかったのはたま時代の曲で、他のお客さん達もたま時代の曲へのノリはハンパなかった。

合いの手や間奏アレンジはほぼたま時代のままだったし。

そりゃたま曲の方が売り上げ等を見ても認知度が高いからだとは思うけど。

 

柳原さんて正直わからないです。

たま違う曲がやりたくて脱退したのに、たま曲を歌うし、たまアレンジのままだし。そういうところが一部たまファンから、裏切り者扱いされるのもわかります。

私もいっときそういう感情を持ちました。

でも、彼が話している動画や文章、また、石川さんなどからみた柳原さんを統合すると、柳原さんらしいとも思うのよね〜。

 

その時にやりたいことをやるだけ。

 

たま時代は柳原さんは毎日モードが変わっていたそうです。

その日の気分でキャラを変えていた。

まさに、つかみどころがない。

 

音楽性もそうじゃないかな。

よくたまで11年続けたなあと思うくらい。

 

 

今は「節」をやりたいそうです、柳原さん。

柳原さん流演歌「アラビア小唄」という曲をライブで聴きました。

正直、耳に残りません。ごめんなさい。

 

さらにごめんなさい。

その曲を聞いて思ったのは、「これこそ知久さんの出番(十八番)じゃない?」と思ってしまったのです。。。

たまファンならわかると思いますが、節まわしといえば知久さんです。

また、伴奏の演歌調ギターなんて知久さんにやらせたら、どこまでも凝ったいわゆる「三味線奏法」してくれると思うんですよぉ…。

 

なんて。

やっぱり再結成希望が強すぎるかなあ。

 

柳原さんの声ってハッキリしていて、よく通る硬質な声だと思うんです。滑舌もいい。

(軟質な声って、例えばGさんとか、桑田佳祐とか、福山雅治のような声をイメージしています)

だから、アップテンポな曲は気持ちよく聞けるし、複数コーラス入っても、音数の多い伴奏入っても埋もれることがない。たまでは彼の長所が如何なく発揮されていたと思うんです。

だから今でも、動画サイトで高い評価を得られる。

 

…たま推し視点ですかね。

 

でも、楽しそうに歌う柳原さんを目の前で見て嬉しかったし、より好きになりました。楽しそうに伸び伸び歌うのが本当に素敵です。

そうそう、印象はたま時代とあまり変わらないと思いました。

たま曲で、お客さんと一体化して歌って、本当に楽しそうでしたし私も幸せでした。ありがとうございました。

 

ソロも頑張って欲しいけど、一度くらいみんなで集まったっていいんじゃないかなあ(希望)

そろそろ一周回って、たまで音楽やってみたくならないかなあ。

 

と言いつつせっせとソロライブに行きますね。

 

個人的な雑感です。ソロファンの方が目にしましたらごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たま」とわたし 其の四

ここんと連日たまの動画ばかり見ています(笑)

 

中毒ですよ。仕事で見れないと禁断症状出ます(^_^;)

 

中学時代に集めたたまのCDをネットで買い漁っています。

 

知久さん、柳原さんのライブチケット手に入れました。

 

ニヒル牛にも行っちゃいました。

 

たまから離れた失われた25年を取り戻そうと必死です。

 

いま、4人ともソロとして実力をつけてそれぞれ楽しんでいらっしゃいます。

 

ですが、やはり…。

 

4人で復活してほしいと切に思います。

 

特に、歌唱力演奏力の上がった柳原さんと、表現力が素晴らしい知久さんのコラボレーションを見て見たい…。

わがままかもしれないけど、ほんとうのほんとうの気持ちです。

 

もし、4人で集まってCDでもだせば、ぶっちぎりのオリコン1位を取るんじゃないかな。握手券なんぞ入れなくても(笑)

ライブなんてやったら即sold out間違いない。プレミアムチケットになる。

絶対に。

断言できる。

 

アップされている動画で、もちろんライブのも良いのですが、雑談している動画が本当に好きです。上品で仲良し。自然な笑い声。

涙が出そうになります。

 

ああ、神様お願いします!!

4人のたまを復活させてください!

 

「たま」とわたし 其の三

「たまの映画」を観た雑感

 

「たまの映画」を初めて観ました。

率直な感想は、「観て良かった」です。

事前にネットで下調べをして観たので、過剰な期待はせず4たまどころか3たまもないことはわかっていましたので。

ただ、一つだけ。

ライブ映像がひどい。雑。

特に石川さんの冒頭のライブ映像。

ブレブレなだけでなく、共演者のほうばかり撮っていたり、パーカッションなのに肝心の手元が写ってなさすぎる。そこだけイライラポイント。

 

Gさんがあんなに喋って笑う人だとは思わなかったし。

石川さんが真面目に語ってて、やっぱりこの人は「智」の人だなと思ったり。

一番は知久さんの柳さんへの気持ちが聞けたこと。不覚にもウルっと来てしまいました。

 

やっぱり知久さんファンだからかなあ。

知久さんに感情移入してしまう。

柳さんと別れたくなかった知久さん。「宝もののような声」とハモっていたかった知久さん。

知久さんの心中察すると胸が締め付けられます。

解散までずっと柳さんがいない苦しさを抱えていたようです。。。

 

少し語ります。あくまでわたし個人の想像ではありますが。

 

石川さんが「たまのA面」と言っていた知久さん、柳さん。その名の通り、たまの中心として楽曲をたくさん発表していました。

一応たまは、4人それぞれが作詞作曲をし、リードボーカルを取るスタイルですが、この両氏の楽曲が多く発表され、一般的に認知されていると思います。

わたしも、2人で車の車輪のような役割をしてたまをひっぱていた印象があります。

 

両輪ではあるけど、2人の音楽性はちょっと違ってて、柳さんはポップでキャッチー、知久さんは暗く寂しい。でも、2人がコーラスするとなぜか合う!また、柳さんのポップなメロディーにちょっとした情緒のような味わいを知久さんのギターやマンドリンが演出していたし、知久さんの寂しすぎる歌に柳さんのおちょくったようなコーラスが入って聴きやすくしていた気もします。

 

もちろんたま全体で曲は作っているのだけれど、知久さんてきには、柳さん唯一無二の相棒だったのだと思います。

 

それが、辞めることになった。

辞めた時期は、もうブームは過ぎ去ってはいましたが、かえってきちんと本来のスタイルで活動できていた円熟期だったと思うのです。

 

片腕もげたようなそんな気分だったのではないかと思います。

 

でも、知久さんは柳さんへの気持ち以上にたまというバンドが好きだったしプライドを持っていたようにも思います。

たまは4人で作り上げて来たバンドだったけど、やっぱり知久さんが中心だったのかなと思います。

石川さんが「『たまは好きだけど石川、滝本、柳原は嫌』という人はいるけど『知久さん嫌』って言う人いないよね」というようなことを呟いていました。

知久さんの声が嫌いな人はたまは好きになれないと思うんです。

それだけ知久さんのカラーが強いバンドだったと思います。

 

だから、柳さん脱退しても解散せず、3人でたまをやっていくと決心したのだと思います。ま、意地もあったのかなあと。柳さんの曲(さよなら人類)だけがたまじゃないんだって。知久さんからしたら裏切られた気持ちだったのかも知れません。

その決意の表れが、その名も「たま」というアルバム。

まるでハナからたまは3人だったというようなアルバムタイトル。

(ちなみにこのアルバムはまだ入手できていません。まだまだニワカです。。。)

 

バンド活動2003年まで続いていたけど、結果として柳さんが抜けた穴を知久さんは埋めきれなかった んじゃないかな。いや、ファンからしたら、3たまも素敵な曲いっぱいあります。でも、映画の中で、(柳原さんが抜けて)「解散するまで大変だった」と話していた。(ちなみにGさんは「サポート入れてなんとかなっていたんじゃないですかね〜」という認識)

知久さんのなかでは、一生懸命やって来たけど柳さんがいた頃のクオリティを超えきれなかったんじゃないかと。

知久さんの曲も変化していきます。もちろんいい大人になったせいもあると思いますが、現実的な感情を割とストレートに歌に乗せるようになった印象です。

 

アーティストとして円熟期に相棒を失い、3たまを維持するための楽曲作り、CMやタイアップもこなしながら。(この辺りの知識がわたしは薄いのであまり多くは語れません。。。)

 

南風という曲がわたしは好きです。

「僕らの寂しさはどっか遠くに出かけて行っちゃた」

わたしは2通りの解釈をしてしまいます。

一つはどうしてもこの「寂しさ」を柳さん脱退と重ねてしまいます。復活希望バイアスかも知れません(笑)

もう一つは「寂しさ」ばかり歌っていた知久さん自身。

知久さんの初期代表曲は、子供目線での「寂しさや悲しさ」。それを独特の歌詞表現で歌い不思議な世界観を作り上げていたと思います。

でも、もうそんな歌は作れないんだ、大人になっちゃった、曲作りで苦しむのはやめて楽しくバカなことやろーぜ、とも受け取れました。あくまで個人的解釈ですが。

そして

「兄い、あの世でまた遊ぼライライライ」

はやっぱり柳さんのことだとおもっちゃうなあ。

 

3たまでのバンド活動を頑張ろうとしつつも、どこかに柳さんのカムバックを期待する気持ちもあり、複雑な思いを抱えすぎてぷちんと切れたような気もします。

たまを辞めたいと切り出したのは知久さんからでした。

 

解散後は、大好きな虫取り、時々ソロやセッションライブをしています。ライブ中は常にビールを飲んでいます。バンドではやらなかった。バンドは緻密な「キメ」が多く、息を揃えないとならないからだそうです。もう飲めないところでは歌わないとも話していました。

 

てことはやっぱり再結成なんてないんだな…としょんぼりしたわたし。

でもね。

なんとなくだけど、根拠はないけど、知久さんは柳さんとまた歌いたいんじゃないかな、って思った。

パスカルズの一員ではあるけど、基本的に誰とも組んでない。

新曲も最近は書いてないようす。昔の歌を昔のように歌う。

柳さん抜きでは自分の目指すものにたどり着けない。

だったら、ゆる〜く好きなようにやるしかない。

 

まったりとした今の感じも哀愁あって好きです。でもその哀愁がどこから来るのだろうかと考えると、このような背景があるのではないかなと勝手ながら感じてしまいました。

 

あくまで個人的な感想、想像です。

異論は認めます(笑)

 

最後に映画の締めでは「すきなことを好きなようにやる」みたいなメッセージで占めていたように思いましたが、ちょっと違和感があるんですよね。

彼らの今は確かに好きなことをしているんだけど、それは過去に、好きでもないことも、体力的精神的にきついこともやってきた時期があって、一定の評価を社会から受けたからなんだよな〜。とおもったのです。

好きなことだけダラダラやってきた人たちではないのです。

この映画にメッセージを持たせるなら「好きなことをやる」より「等身大の自分を受け入れる」じゃないかなあ。

たいそうな欲を持たなければそこそこそれなりに幸せに暮らせるんだよ…ってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たま」とわたし 其のニ

知久さん編です。

 

前回の記事にも書いたように私は知久さんファンでした。

 

25年振りにファンに返り咲いて、ネットの画像やら動画やらを拾い集め始めたわけですが、一番驚いたのは知久さんの姿でした。

何せファンだったのですから。

知久さんのかわいらしい髪型とキラキラした瞳とすべすべのお肌に。

 

最初にヒットした画像はツイッターのアイコン画像。

え…禿げてる。こ、これは別な人…と思いたい。

そんな期待はすぐに裏切られました。

帽子姿の画像ばかり。時々帽子のない寒そうな頭の画像もあり、ソレは確定したのでした。

 

もう一つは、歯。歯がないよう( ;∀;)

かわいそうなおじさんみたいな姿だよう。

 

あまりの変わりぶりに軽くショックを受けつつ動画も探します。

 

結果から言うと動画を見て良かった。

 

知久さんの歌声を動画で聴くと、ハゲも歯抜けもどうでもよくなったのです。と、いうよりなんかそのスタイルも含めて曲と歌声が「知久さん」であり、妙にマッチングしているのです。

よく見ると帽子のセンスがいい。靴もかわいい。

いや、そんな下世話なことよりも、歌声に味わいが増し、ギターがものすごい情緒を奏でているのです。たくさんたくさん観て聴いてあっという間に時間が経ちました。

知久さんといえば、独特の超高音シンガーでしたが、キーはそのままに声に厚みというかまろみみたいなものがついた感じがします。と、褒めてしまいますが、酒焼けなのか掠れた感じもあり調子良くなさそうな動画もあります。

ただファンの心理でしょうか。

それも含めて受け入れてしまいます(笑)味わいだと。

 

知久さんは「知久寿焼」という一つの芸術を作りあげたような気がします。そしてそれを淡々と自分のペースで体現しているのだと、わたしは思います。

そのビジュアル、産み出される音楽、歌声、演奏技術…。たまの中でも飛び抜けて芸術家だと思います。

 

でもほんと昔の知久さんはかわいい。

あどけなくてキラキラしてる。

そんな動画がたくさん見れるのはいい時代だなあ。

 

 

 

「たま」とわたし 其の一

しばらくブログ放置していました。

答えは シンプル。

これを書きたい!という「突き上げられる衝動」が沸きおこらなかったから。

 

さて、そんな私に「突き上げられる衝動」が降りた。

今や知らない人が多いだろう、バンドの「たま」のライブDVDを、ひょんな事から入手した。最初から最後まで見て、言いようのないふわふわしたそれでいて頭を抱えるような感情が湧き上がった。

そこから、たまのことをネットで調べ動画を見まくる日々が続いている。

多分、いま、私はたまに「ハマっている」のだ。だから、この気持ちや、私なりにたまについて考えたことを残しておき、あわよくば誰かに伝えたいと思った次第だ。

 

ところで私は今年40歳になる。

たまのメジャーデビューは1990年。「さよなら人類」というアラフォー以上なら一度は聞いたことのある曲を引っさげて鮮烈デビューをした。

私は中学生だった。小学生までは光GENJIが好きで、わずかなおこずかいで雑誌を買っては切り抜きを下敷きに挟んでいた。しかし、中学一年のある日、音楽番組でたまを見て一瞬で虜になってしまった。

かーくんとか、あっくんとかの下敷きは、一瞬にしてキノコ頭やランニングのオジサンになった。

 

ちなみにだが、私はイカ天なる番組は見たことがなかった。私の実家は、東北のありえんほどの田舎で、当時はTVのチャンネル数も少なく、そんな番組はやっていなかったと思う。(もしかしたら深夜にやっていたかもだが、子供な私は見れなかった。)

何かしらの音楽番組でたまの音楽を聴き、その音楽に頭をひっぱたかれたような感覚になり、知久寿焼氏の目力に乙女心を打ち抜かれた。

そこから、たま中心の生活が始まった。

TVを録画し、出ている雑誌は片っ端から買った。中学生で宝島を買うのは勇気がいる行動だった。親にはエッチなページは見てないと言い張った。(見てたけど。でも当時はエッチなページは一部だった。余談だが、宝島でいとうせいこうとかみうらじゅんとかを知り、その非凡さにも憧れた)

CDを買い、 VHSを買い、家の中では常にたまの音楽、TVはたまだらけで、親が何度かキレた。「気持ちの悪いオッさんだべ」と何度も言われた。

 

学校のクラスでもたまファンは何人かいた。

心強かったのは、友達の少ない私の唯一の親友もたまファンになってくれた。親友はGさんのファンだった。

私は知久さんファン。他の女子達もGさん、ヤナさんとそれぞれファンがいた。石川さんファンはいなかった。。。

今にして見るとくだらないが、どのメンバーがいいかというファン同士の言い合いあった気がする。クラスのボス的女子がヤナさんファンだったので、最終的にそこに譲るのだが…。

そういえば、各ファン層の色みたいなのがあった。

ヤナさんファンは、割とミーハーで派手系女子。

Gさんファンは、芸術系オシャレ女子。

知久さんファンは、コミュ症変わり者。←わたし。。。

異論はあると思います(笑)

知久さんファンの私でしたが、ヤナさんに浮気したこともあった。ヤナさん痩せて一時めちゃくちゃカッコよくなった時期があった。セクシーというか。

うっかり、ヤナさんファンのボス女子の前で、ヤナさんも好きみたいなことを言ったら睨まれシカトされた。それ以来口が裂けても言わないようにし、浮気心はそっと心の奥に閉まった。

 

そんな感じで、多感な中学時代はたまとともに過ごし、たまの存在が彼氏のようでもあった。

 

でも時代とともに私の中からたまの存在が薄れていった。

 

風の噂で、柳原さん脱退とたまの解散を知った。

スピッツ大黒摩季椎名林檎矢井田瞳安藤裕子をよく聴いた。

大きな声では言えないが、吉幾三も好きだ。

近年は劇団四季が好きになった。ミュージカルの秀逸なハモリ、迫力がゾクゾクとたまらない。

 

知久さん声が時々TVから聞こえてくることは感じていた。CMやちびまるこで。

 

30後半で子供ができた。

子供と一緒にEテレを見るようになると、知久さんの歌声に触れる機会が急に増えた。

 

私はとある施設で勤務していたが、退職することになり、餞別に患者さん達がキャッチボールなどできる「野球セット」を購入しょうとAmazon覗いた。「野球」で検索をしたところに場違いなものが引っかかった。

それが「たま 野球」のDVDだった。

 

懐かしさからカートに入れた。

でも購入したのはその2ヶ月後。購入するか考えていたんだと思う。

 

届いてからも2週間くらい放置していた。ちょっと恥ずかしさもあり、家族の居ない隙を狙っていたのもあるが、視聴するモチベーションが高まらなかったのもある。

 

旦那と子供が外出することがあり、せっかく買ったしと観てみた。

冒頭の牛小屋でやられた。

柳原さんはこんなに歌が上手かったのか!

いっきにたまワールドに引き込まれた。

どんどん聴いていく。たまが人生だった中学時代の自分が蘇る。

懐かしさは、まるで初恋人に再会したような感覚。

それだけではなく、当時は分からなかったが、楽曲の素晴らしさと巧みな演奏技術。

音楽には疎いわたしだが、それでもわかる。

細かいところまで複雑なアレンジがされている。

主旋律に対する他パートの音の膨らまし方?がすごい。知久さんギターテクや、石川さんのリズム感。滝本さんのベースのグルーヴ感、柳原さんの安定した演奏技術と歌唱力、そして美しいハーモニー。

 

え。。。

 

バンドとして超うまいじゃん。

アイドル的にファンだった自分を恥ずかしくすら思った。

 

しばらく数日はぼーっとした気持ちで過ごした。

昔好きだった人に再会して、やっぱ好きだと再認識したような…。

ももう会えないのかも知れない(4たま)。

本当はとっても素晴らしいのに、気づいてあげられなかった自分(何様だよ!)

 

楽しい寂しい嬉しい悲しい気持ちはいつでもとっても不安定な日々を送っている。

これは恋なのかも知れないと馬鹿なことを思いつつ…。

 

今までたまを放置していたことを懺悔するかのように、今わたしはネットでたまの情報を調べ、動画を観る日々が続いている。(いい時代になったものだ)

 

それらを観ての感想や考察なりは次回以降に順々に書いていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どきどき初めてのブログ~妙なIDに後悔~

初めまして。

私は・・・changethelifeっていう妙なIDをつけてしまったことをやや後悔している者です。

私の名前は・・・ゆみごんと呼んでください。

 

さて。

しかしながら、ずうずうしくもなぜ故changethelifeかという説明からさせて頂きます。

 

実は私は来年40歳になります。

そして40歳を前にして、今までの仕事をやめ少しばかりの充電期間に入ろうとしています。

私は、社会に出てから、ほぼずっと仕事をしてきて、仕事をしながら学校へ行ったりと自己研鑽にもそれなりに努めてきたつもりです。役職も付き、様々な壁にぶち当たることもありましたが、職責は全うしてきたつもりです。

そんななか、結婚し出産、初めての育児。毎日どたばたの育児。そして育児歴3年目にして40歳を迎えるわたし。

その40歳を前にして、ハタと気づいてしまいました。

「あれ?人生って80年?じゃあ、40歳って折り返しじゃね??」

「私、いま、本当に好きなことや望んでたことやってるのかな?」

 

・・・そう、そこにはやりたくないことをやらなきゃいけなくて必死な自分がいました。そして、もしかしたら犠牲になってるかもしれないわが子。

 

これではいけない。

「自分を取り戻さなければ!」

 

そう今まさに気分はchangethelife。

というわけでつけたIDでした。

・・・が、恥ずかしい。妙な、というより恥ずかしい。

 

さて、具体的にどうchangeしていくのか、その詳細は次回以降にタラタラと書いてこうと思います。

ちなみに、このブログをはじめたのもchangeの一環です。

自分が変わっていくさまを記録していきたい、チャンスがあれば皆様に見ていただきたい、あわよくばアフェリエイトで稼ぎたい(笑)

ま、最後は冗談ですが

 

40歳からでも人生は変えられる!

 

をスローガンにゆる~くやっていきま~す。

よろしくお願いします。